三島由紀夫「憂国」 その4(憂国後刻)
2006年 03月 19日
行って参りました「憂国」試写会。
新潮社の「決定版三島由紀夫全集」の別巻にDVDとして収録されるのと
東映でもDVDを発売するということに先立って
記念試写会ということだったそうです。
映画は、30分もありません。
台詞もなし。
途中、三島扮する中尉と妻が何事か話していますが
読唇術でも用いないかぎり読み取り不能。
よって三島の声などは、入っていません。
フルトヴェングラー指揮の音楽が通しでかかっています。
「トリスタンとイゾルデ」。
死と官能、それぞれの絶頂が絡まって終わる、あの音楽です。
オープニングは、
白手袋をした手が、表装された巻き物を開いてゆくところから始まります。
題名、作者、演出などの名前が
見まごうことなき三島の筆蹟で毛筆によって書かれており、
それが終わると場面毎の説明文が同じく三島の筆蹟にて綴られ、
そのあと
それに対応する映像が流れます。
舞台は能舞台。
演出堂本正樹と三島由紀夫の共同体が現出したような空間。
正面の、本来松が描かれている場所には「至誠」の掛け軸。
そう、小説「憂国」そのままの舞台装置です。
登場人物は、中尉と妻/麗子。
ここで重要なことは、
映画では「死の過程」がクローズアップされているように
思えることです。
そこが小説との大きな違い。
大量に血が流れ、内臓がはみ出し、脂汗をかいて、口から泡を吹く様子が
克明に映されます。
小説は、
この一文が総てを物語るように思えます。
「二人が死を決めたときのあの喜びに、いささかも不純なもののないことに
中尉は自信があった。あのとき二人は、もちろんそれとはっきり意識はし
ていないが、ふたたび余人の知らぬ正当な快楽が、大義と神威に、一分の
隙もない完全な道徳に守られたのを感じたのである。二人が目を見交わし
て、お互いの目の中に正当な死を見い出したとき、ふたたび彼らは何者も
破ることのできない鉄壁に包まれ、他人の一指も触れることのできない美
と正義に鎧われたのを感じたのである。中尉はだから、自分の肉の欲望と
憂国の至情のあいだに、何らの矛盾や撞着を見ないばかりか、むしろそれ
を一つのものと考えることさえできた」 憂国(新潮文庫)より
鉄壁のもの/自ら信じるものに完璧に守られた死、それは
「戦場の孤独な死と目の前の美しい妻と、この二つの次元に足をかけて、あ
りえようのない二つの共在を具現して、今自分が死のうとしているという
この感覚には、言いしれぬ甘美なものがあった。これこそは至福というも
のではあるまいかと思われる。妻の美しい目に自分の死の刻々を看取られ
るのは、香りの高い微風に吹かれながら死に就くようなものである。そこ
では何かが宥されている。何かわからないが、余人の知らぬ境地で、ほか
の誰にも許されない境地がゆるされている」 同
そんな感覚。
だれかに見られ乍ら死ぬことによって
なにを宥されたかったのか、なにをゆるされたのか。
それは判りませんが。
自分の信じるものとエクスタシーと死をシンクロさせる、
(ま、イデオロギーとかとは切り離して考えても)
なにかに守られ乍ら死んでいく、それが官能の昇華とひとつになる
そういうことを小説は言いたかったのだろうなあ、というのは読み取れます。
が、
すくなくとも映画は、
死ぬことを愉しんでいるような映画でした。
実は自分の死ぬ姿を克明に見たい、そんな感じの。
___________
えー、以上戯言です。
戯言使いです。
気にしないで下さい。
ま、すぐDVDが出ますから、
是非三島先生の熱演と、
塊になって溢れ出る腸と
どばどば流れる血を見てさしあげてください。
あー、モノクロでよかった!
さすがに腹に短刀を突き刺すところでは正視できなかった。。。。。
とりあえずですね、個人的には
「大画面スクリーンで観ることが出来て良かった!!!」
非常にラッキーでした。
たとえどんなにグロかろーが、大きいことはいいことだ!
DVDの小さい液晶画面では、
役不足だし、迫力が無かったであろうと思われます。
液晶大画面を、御自宅ではお薦めいたします。
さて。
この映画「憂国」は、
三島搖子夫人がそのフィルム保有を許さず、
総べて焼却されたことになっていたが、
今回三島家から発見されたので
35年振りに封印解除/DVD化する運びとなった、
ということに公式にはなっておりますが、
いえいえ、
実際保有されている方は
何人かおいでになられます。
有名なのは、
この映画「憂国」の演出を手掛けた
演劇評論家の堂本正樹氏とかですかね。
先頃出版された本「回転扉の三島由紀夫」(文春新書)にも
そのことは、ちゃんと書いてあります。
ほかにも元プロデュサーさんとかも、そのようですね。
かつて出版されたジョンネイスン氏の本「三島由紀夫/ある評伝」も
三島夫人から回収のお達しがあったらしいが、
それを拒んだ人も
しっかりいたようだし。
では、長くなったし、取り合えずこれで。
中途半端ですみません。
明日は春コミにいくので、もう寝ます。
じゃーねー。
新潮社の「決定版三島由紀夫全集」の別巻にDVDとして収録されるのと
東映でもDVDを発売するということに先立って
記念試写会ということだったそうです。
映画は、30分もありません。
台詞もなし。
途中、三島扮する中尉と妻が何事か話していますが
読唇術でも用いないかぎり読み取り不能。
よって三島の声などは、入っていません。
フルトヴェングラー指揮の音楽が通しでかかっています。
「トリスタンとイゾルデ」。
死と官能、それぞれの絶頂が絡まって終わる、あの音楽です。
オープニングは、
白手袋をした手が、表装された巻き物を開いてゆくところから始まります。
題名、作者、演出などの名前が
見まごうことなき三島の筆蹟で毛筆によって書かれており、
それが終わると場面毎の説明文が同じく三島の筆蹟にて綴られ、
そのあと
それに対応する映像が流れます。
舞台は能舞台。
演出堂本正樹と三島由紀夫の共同体が現出したような空間。
正面の、本来松が描かれている場所には「至誠」の掛け軸。
そう、小説「憂国」そのままの舞台装置です。
登場人物は、中尉と妻/麗子。
ここで重要なことは、
映画では「死の過程」がクローズアップされているように
思えることです。
そこが小説との大きな違い。
大量に血が流れ、内臓がはみ出し、脂汗をかいて、口から泡を吹く様子が
克明に映されます。
小説は、
この一文が総てを物語るように思えます。
「二人が死を決めたときのあの喜びに、いささかも不純なもののないことに
中尉は自信があった。あのとき二人は、もちろんそれとはっきり意識はし
ていないが、ふたたび余人の知らぬ正当な快楽が、大義と神威に、一分の
隙もない完全な道徳に守られたのを感じたのである。二人が目を見交わし
て、お互いの目の中に正当な死を見い出したとき、ふたたび彼らは何者も
破ることのできない鉄壁に包まれ、他人の一指も触れることのできない美
と正義に鎧われたのを感じたのである。中尉はだから、自分の肉の欲望と
憂国の至情のあいだに、何らの矛盾や撞着を見ないばかりか、むしろそれ
を一つのものと考えることさえできた」 憂国(新潮文庫)より
鉄壁のもの/自ら信じるものに完璧に守られた死、それは
「戦場の孤独な死と目の前の美しい妻と、この二つの次元に足をかけて、あ
りえようのない二つの共在を具現して、今自分が死のうとしているという
この感覚には、言いしれぬ甘美なものがあった。これこそは至福というも
のではあるまいかと思われる。妻の美しい目に自分の死の刻々を看取られ
るのは、香りの高い微風に吹かれながら死に就くようなものである。そこ
では何かが宥されている。何かわからないが、余人の知らぬ境地で、ほか
の誰にも許されない境地がゆるされている」 同
そんな感覚。
だれかに見られ乍ら死ぬことによって
なにを宥されたかったのか、なにをゆるされたのか。
それは判りませんが。
自分の信じるものとエクスタシーと死をシンクロさせる、
(ま、イデオロギーとかとは切り離して考えても)
なにかに守られ乍ら死んでいく、それが官能の昇華とひとつになる
そういうことを小説は言いたかったのだろうなあ、というのは読み取れます。
が、
すくなくとも映画は、
死ぬことを愉しんでいるような映画でした。
実は自分の死ぬ姿を克明に見たい、そんな感じの。
___________
えー、以上戯言です。
戯言使いです。
気にしないで下さい。
ま、すぐDVDが出ますから、
是非三島先生の熱演と、
塊になって溢れ出る腸と
どばどば流れる血を見てさしあげてください。
あー、モノクロでよかった!
さすがに腹に短刀を突き刺すところでは正視できなかった。。。。。
とりあえずですね、個人的には
「大画面スクリーンで観ることが出来て良かった!!!」
非常にラッキーでした。
たとえどんなにグロかろーが、大きいことはいいことだ!
DVDの小さい液晶画面では、
役不足だし、迫力が無かったであろうと思われます。
液晶大画面を、御自宅ではお薦めいたします。
さて。
この映画「憂国」は、
三島搖子夫人がそのフィルム保有を許さず、
総べて焼却されたことになっていたが、
今回三島家から発見されたので
35年振りに封印解除/DVD化する運びとなった、
ということに公式にはなっておりますが、
いえいえ、
実際保有されている方は
何人かおいでになられます。
有名なのは、
この映画「憂国」の演出を手掛けた
演劇評論家の堂本正樹氏とかですかね。
先頃出版された本「回転扉の三島由紀夫」(文春新書)にも
そのことは、ちゃんと書いてあります。
ほかにも元プロデュサーさんとかも、そのようですね。
かつて出版されたジョンネイスン氏の本「三島由紀夫/ある評伝」も
三島夫人から回収のお達しがあったらしいが、
それを拒んだ人も
しっかりいたようだし。
では、長くなったし、取り合えずこれで。
中途半端ですみません。
明日は春コミにいくので、もう寝ます。
じゃーねー。
by chibikuma2006
| 2006-03-19 00:40